日々の出来事を綴るブログ
by mori-hako
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2011年 05月 05日
時評/essay - 新建築住宅特集 2011.05 -
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先日、とある新聞記事の言葉に目が留まった。「われわれエゴイストは・・・どこかの国に蔓延するマラリアよりも、自分の歯痛を憂える・・・」 人間の心理を見抜いた随筆家ロバート・リンドの言葉である。
3月11日、東日本を襲った大地震と津波、そして原発事故は、あまりにも甚大な被害と過酷な現実を我々に突き付けてきた。想像をはるかに超える自然の脅威を前に、なすすべもなく人間の無力感に途方に暮れる。そしてこの災害は、少子高齢化と向き合いながら、医療や生活の機能が拡散している現代地方の問題を露わにした一方で、地方からの電力供給なくしては成立しない、都市システムの脆弱さを浮き彫りにした。震災から3週間が過ぎた現在、多くの被災した方々の声から、地域の人と人とのつながりあう姿が垣間見えた。それは地域コミュニティをつくる人のふれ合いが、地震直後の混乱した状況の中で多くの命を救ったことを物語っている。
このような震災直後においては、行政機関や自治体の公的支援よりも、自助・共助の地域コミュニティのあり方が大切だとあらためて認識させられる。今後、国と自治体による精神的な支援や住宅と産業が一体となった復興が、地域の活力とコミュニティの形成にとても重要であると思っている。復興という長い時間の中で、建築家として新たな職能と創造も問われてくるだろう。
さてこのような中、4月号の特集では1985年の創刊から現在まで、26年間の過去の新建築賞(旧吉岡賞)を通して、時代の変遷から「住宅とは何か」を考える興味深いものであった。当時を振り返りながらの、対談や論考、そして座談会など読み応えのあるテキストだった。
社会的背景の変遷から、多様化する価値観に対して、住宅がいかに社会にコミットしていけるのかを、あらためて考えさせられた。遡って目を通した住宅群は空間構成や言説から、その時代を表象するモードの変遷が読み取れ、現在も色褪せず清々しく感じられた。それは社会に対して向き合う等身大の建築家の姿だけではなく、社会の変容から生じた、新たなフェーズへ向けて生み出される厖大な思考の痕跡を感じたからであろう。住宅とは社会背景に伴う家族像によって、大きく変容していくものである。特に高度経済がもたらした物質的な豊かさが、急速な消費社会を生み伝統的なコミュニティを解体させ、都市を形成していった。それらは今日的な諸問題を生み出すと同時に、多彩な住宅群を生み出す活動のもとになってきた。では、標準家族というものが見えなくなった今、どのような住宅に対するアプローチがあるのだろうか。ひとつには、何かパブリックのような要素をもたせることで、新たな相互扶助コミュニティの形成につながる住宅の姿に可能性が見出せるように思う。近代化の過程で解体された伝統的なコミュニティを、今の時代にあった形で再編し得る住宅と価値観が待ち望まれる。社会に対して現代が喪失してきた帰属性や関係性を再考し、持続可能なプログラムを携えた住宅など、さまざまなスケールに応じて住宅は社会に接続し変容し続けていくのだと思う。社会の矛盾を孕むほど、多様なアプローチがあることを、創刊以来300冊の誌面に発表された住宅群が証明しており、勇気付けられる。そして新建築賞という新人を顕彰する賞を通して審査する側、審査される側が時代をいかに読み取り、どのような評価軸で作品に対して議論を尽くしていくかという過程に意義を見出すことができる。新たな価値観が作品を通した議論の中に萌芽的に現れているからである。時代を表象するような住宅を批評するメディアの賞として、さらに期待したい。 (まえだけいすけ/建築家)
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